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彼はある一方の側に明確な同情を寄せることができなかった。あるときは一方の側が、またあるときは他方の側が、自分の階級的利害の中で、間断なく全人類的な正義を破壊していたからである。DA2の感想を上げようと思いつつ、時間が経って今頃になってしまいました。
あまり好意的でない感想を長々書いていますので、お読みになる場合はその点ご了承下さい。
+ + +
DA2の不満はというと、ストーリイ、ゲーム性、そのいずれにもある訳ですが、それぞれに分けて書くことにします。
DA2は発端こそDAOの舞台となった第5次ブライトですが、その後はカークウォールにおけるメイジ/テンプル騎士の確執(魔道士の処遇を巡る対立)を軸に進みます。第5次ブライトはフェレルデンという辺境の地で1年程度で終結していることもあり、ドラゴンエイジ(竜の時代)の端緒の出来事に過ぎない、との扱いなのでしょう。
DA2のストーリイは、プレイ日記にも書いたように、フレメスと再会する辺りまでは調子よく風呂敷が広がっていくので、この先面白くなるのではないかという期待を持っていました。
前作のキーパーソンでもあるフレメスが、みすぼらしい老婆ではなく、どうやら本来の強大な力を持つ魔女の姿(まあ、これがホントの「美魔女」)で現れ、主人公の運命の流転について謎めいた言葉を投げ掛けるので、てっきり主人公は大きな歴史的流れの渦中に在って、その決断が広範な影響を及ぼすのかと期待したのですが、その後はあまり話も広がらないし、かといって深まるわけでも無し、カークウォールという一地方での内部抗争に終始したという印象です。
話が広がらない最大の原因は、テーマはDAOとは異なっているので置くとして、第一に空間の広がりに欠ける、ということと、時間の広がり(長さ)はあっても、主人公がどこまで成り上がってもやっていることが変わらない、人脈も変わらないという、状況の変化に欠けることにあると思います。
第1部のホークはロウタウンでの困窮した生活から抜け出すため、とにかく金、ステイタス、何でも良いから自分たちの後ろ盾になるものを探して這い上がろうと行動していました。ディープロード探索で一攫千金、第2部に入った4年目はというと、既にカークウォールの名家としての地位も財産も取り戻したと思われるのに、相変わらず同じ場所をうろついて、同じような人と関係し、同じようなお使いクエストをこなしていく。
単に住む家(機能的には第1部のガムレンの家と大差ない)と着ている服が豪華になっただけで、第1部もそれ以降も、ホークを取り巻く環境は代わり映えしません。ハイタウンの住人になる=カークウォールにおける上流階級グループに入ったのですから、第1部とは違う人脈やグループとも関与して行くのかと思ったらそれもありません。
第3部は子爵亡き後、教会とテンプル騎士団、サークルの緊張した関係の中、カークウォールの英雄と讃えられ、パワーバランスの一角としてそれなりに影響力を有すると思われるホークですが、クナリを排除した英雄であるにも拘わらず、特段個人崇拝(像はあるけどそれだけ)されている様子もないですし、公職に就いているわけでもなし、権力と自由は両立しないそうですが常に閑そうだし、本人に何か目的意識がある訳でもなく、相も変わらぬ腰の定まらぬ便利屋としての行動が続くだけです。
立場の変化に合わせ関与する出来事の性格を変えていくことによって、カークウォールでの10年弱という時間の経過を表すなどすれば、ここまで平坦な印象は持たなかっただろうと思いますが、あまりにも単調すぎる。また幕間に3年のインターバルを置いている割には状況の変化が少ないという印象です。
カークウォールで関わりを持つ仲間も、目的のため一蓮托生、全行動を共にするDAOのそれとは違って、ホークと関わっていない時はカークウォールでの各々の生活があるのですし、中にはそれなりの社会的基盤を持つ人物もいるのですから、主人公が社会的階層を上がるに従い、彼らを「人脈」として描くことも出来たのではないかと思います。自分の派閥(人脈)であるそれらの仲間から情報を入手し事件に関与し、パワーバランスに影響を及ぼす、と言った展開があっても良かったのではないでしょうか。
ところがホークと仲間との関係はあくまで(どこまでいっても)只の個人としての関わりであって、アヴェリンと衛兵隊を除けば、本来関与してもよさそうなアンダース=脱走魔道士を助ける集団、ヴァリック=地上ドワーフや商人ギルドとの繋がり、フェンリス=(例えば)親クナリのシティエルフ、霧の戦士団、イザベラ=海賊、密輸団、(加えれば家宰ブラン=貴族層)などといったその背後にいる(いてもよい)集団が全く見えません。あくまで多少口の端に上る程度か、クエストで倒すべき敵として登場するかに留まっているので、この面からも広がりに欠けます。
更に、全般的に状況の変化が少なく、地理的・社会的な広がりに欠ける、というだけでなく、ストーリイを進める目的も希薄です。
DAOの主人公は最初に全てを失い、グレイウォーデンの一員となってブライトを終結させるという目的を与えられ、同じく自分の属するコミュニティから何らかの理由で離脱せざるを得なかった仲間と共に、些かの思惑の違いはあれど大きな目的を共有しながら進んでいく、という、求心力のある展開だったと思います。仲間を失うこともあるけれど、袂を分かつのは自らの選択の結果であるというのが明白です。
今作の主人公は、カークウォールでの家族の生活を向上させる以外に特段の目的もなく、主体的に行動すると言うより、ただ目の前にある状況に巻き込まれていくだけです。短期的な目的を共有するに過ぎない仲間が、何故文句も言わずホークと一緒に汚れ仕事をやっているのか今ひとつ理解できません(善人ホークは「カークウォールを住みよい街にする」というスローガンがあるので、仲間もボランティアとして付き合っているのかも知れませんが)。
主人公は本当に只の便利屋で、ゲームをプレイしていても「カークウォールにおける問題の解決に向かって主体的に動いていく」のではなく、ひたすら雑用をこなしていくだけのように感じます。ホークのテーマソングには、是非「私は町の何でも屋」(ロッシーニ「セビリアの理髪師」のアリア)をお願いしたいところです。
DA2ではDAOと異なり、クエストが散発していることから、中心となる出来事は見えにくい。それは渦中にいる人にとってはその時点で何が転換点かなど分かるはずもなく、後世の人間(或いは傍観者)が後の歴史的観点から判断するものだからなのでしょう。だからこそ、語り部としてのヴァリックを登場させたのかと思いますが、ヴァリックの話は、ある特定の人物の視点を通じて語られるものであって、彼が本当に「善意の語り手」かどうか判断する術はありません(仮に大筋で事実としても、多少のホラ、誇張は混じっているようですし)。どこまでが事実で虚構か、どの程度誇張・歪曲されているのか、プレイヤーをも欺く、という仕立てにして、カッサンドラとヴァリックの遣り取りによっては、ヴァリックの話が若干変わるなどしても面白かったのではないでしょうか。
共産党員たちは富農を迫害していた。実際、これこそばかげたことだ ― 人間が自分のために働き、しかも一所懸命に働いていることでもってその人を迫害するなんて。…我に自分の人格を管理する自由を与えよ。我を奴隷にするなかれだ。このことは、全人類的な見地からすれば、憤激に耐えないほど明白なことであった。しかし、彼が新聞で、富農たちがいかに共産党員を百姓小屋の中に閉じ込めて焼き殺したかを読むと…富農に対して恐怖と憤りの念に包まれた。今作のストーリイラインでは、クナリの脅威と、テンプル騎士団とサークルの緊張関係(メイジの弾圧)の二つが大きな柱だったと思いますが、肝心の、メイジがテンプル騎士団によって弾圧されている状況が余り伝わってきませんでした。
伝聞や脱走したアポステイト等のクエストはあっても、ホークやアンダースがメイジと分かる格好をして、背中に杖背負って街中を歩いても何の警戒もされず、移動や行動に制限もされず抑圧を感じない。主人公補正と言ってしまえばそれまでですが、あれ程メイジが迫害されていると言っている割には、その抑圧が直接自分(若しくはアンダース)に降りかかるイベントがないので、どうも切迫感に欠けます。主人公の社会的地位や影響力によって回避できているなら、何らか表現はあってしかるべしなのに、メレディスの台詞が僅かに窺わせる程度です。
更にアンダースは、テンプル騎士団の弾圧から魔道士を逃亡させるための支援組織と繋がっていると言いますが、その組織もアンダースの話の中で存在を語られるだけなので、プレイヤーにとっては存在していないも同然です。
またアンダースは、サークルも魔道士を抑圧していると非難しますが、妹ベサニーからの手紙の内容からすると、そこまでサークルが抑圧的な組織なのか、こちらも今ひとつ実感がありません。確かにサークルでの生活は自由に乏しく、世俗を断ち切り、悪魔の誘惑に負けることのないよう宗教への帰依を通じて自己を抑制し、魔法の研究と研鑽に一生を捧げるといったものでしょうが、主人公の妹ベサニーの生活ぶりから想像するに、手紙の検閲なし、家族との面会も比較的容易で三食昼寝付き(かどうかは知らんが、血色は良かった)、地位によっては外出も可能。中世の修道院のように生きながらの埋葬でもなければ、「児童集団訓練班は規定で、泣くこと、笑うこと、遊ぶこと、しゃべることを禁じ、違反者は吊して殴る、足で蹴る…などの数々の残酷な手段で虐待した」とまで抑圧的でもないようです。
メイジ迫害の陣頭指揮を執っているのは騎士団長のメレディスということになるのですが、酒場の噂話でメレディスはメイジに残虐な行為を行っていると言われるものの、残虐行為を実際に見た人はなさそうですし、同じ酒場で主人公が「クナリを殺してその頭骨で酒を飲む(でしたか。古い話なので忘れた)」と与太話のネタにされているのを聞くと、メレディスの件も同じぐらい無責任な与太話ということになってしまいます。
また、魔道士を全員精神的に去勢して無力化するという暴力的な計画が内部の過激派によって提案されたものの、メレディスが否定して実行には至っていません。メイジを管理下に置くテンプル騎士団の行動が、護法と秩序維持のために社会的に容認された範囲に留まっているのか、一線を越えた残虐行為があるのか、判断が付きにくいところです。
メレディスが「自分が踏みつぶしたのは80%ではなく、事実上100%、それも力づくで踏みつぶした」と言える程の苛烈な弾圧を行っているのか、身内からメイジを出した家族が、その事実を以て迫害されている様子も、その事実を沈黙している様子もなく、第3部の開始時、民衆が口々に騎士団長メレディスの前で発言する(できる)ところを見ると、「罰を常とする重い手の下に入りこまぬよう、恐れるのみ」という風潮ではないようです。
つまり、アンダースが主張する程苛烈なメイジへの迫害も、それに抵抗する組織も、本当に存在するのかどうか、確証もないまま唯々アンダースから憎悪だけが吹き込まれる。ここで、アンダースが主張するような状況があると信じることが出来ればいいのでしょうが、疑問があればメイジの迫害を訴えるアンダースの発言や行動に共感しにくい。
どうせなら、アンドラステ=偉大なるアポステイトと信じて(オリジンズのギフトの中に、アンドラステが力のある魔法使いという内容の本があったような気がする)魔道士の解放を唱えるカルトがカークウォールで勢力を拡大しており、それがアンダースと繋がっている、という方が、異端の弾圧という点でテンプル騎士からの迫害の理由や苛烈さが分かりやすく表現できたのではと思います。
他の階級から虐待されていた間はそれほど感動を与え、美しかった一般大衆、プロレタリアートは、自身がこれらの階級を虐待し、最も本能的な形で自己の存在を示し始めたとき…、感動的であることや美しくあることを完全にやめてしまった。メイジとテンプル騎士団の軋轢については、敢えて白黒付けがたくしてあるのでしょうが、両勢力のいずれに付くかと問われても、上に書いたように描写が中途半端なため、心情的にはどちらにも賛同することはできません。
終盤はアンダースが暴走して爆弾テロ、メイジが次々悪鬼化するという、最悪の状況になってしまいますし、最後は大サービスであれもこれもボス化して大暴れ、中途半端にDAOの「穢された古の神々」を引き摺っていたり、混乱の幕引きとなって歯切れ悪い印象です(ホークが失踪するまでの経緯はDLC用に残しておいたのか)。アンダースと同化しているヴェンジェンスがラスボスでも良かったと思うのですが、最後は音沙汰もなく消えてしまうようです。
あれだけヴェンジェンスと同化していることをストーリイ上アピールしている割には、最後の、自らの正義を実現するため急進的に暴力的手段に訴えた段階で、(満足したのか虚しくなったのか)憑き物が落ちたように大人しくなっているのは些か解せません。
教会爆破を表明したついでに「革命においては善そのものが悪の力によって実現される。それは善の力が歴史においてその善を実現する力を持たないからだ」とか「全てのメイジよ! この火を、セダス全土で一斉に燃え上がらすことが必要だ。そうすればどんな力もそれを消すことはできないだろう。そのような火事を革命と呼ぶのだ!」ぐらい言い放って、一花咲かせて欲しかったところです。
またそういう暴発でもなければ、アンダースにヴェンジェンスが憑いているという設定に必然性が感じられません。ヴェンジェンス抜きでもアンダースがメイジに対する暴力を目の当たりにして「怒りに我を忘れる」ぐらい別に不思議ではない。ヴェンジェンスが憑いていなければ実現できない何か、表現できない何かはあったか…スキルツリーを別にすれば、フェイドで裏切らないという程度かな。
アンダースもそう言えば何をしたかったのかよく分からない人物という印象で、自分も含めたメイジが迫害されている現状に憤激し、メイジの解放のために戦っている様なことを言い続けながら、主人公から見える行動は自分の主張を広めるためマニフェストを配っているらしいことぐらい。しかもマニフェストに対する主人公の反応に鑑みると、主人公には余り真面目に捉えられている節がない。結局10年弱の間にやったことといえば爆弾の材料集めだけ、それも教会爆破の後は不発弾みたいな盛り上がらなさ。
もう一方のクナリの脅威に関しては、異教徒の存在による社会的緊張がそれ程表されているようにも思えませんでしたが、教会が改宗に神経を尖らせるのは分からなくもありません。ただ、クナリがあの分かりにくい教義をことさら布教している訳でもなさそうだし、さりとてあの教義が(彼らから見て異教徒であるカークウォール市民の)人口に膾炙しているとも思えないし、それでいて改宗者が増えている、というのもこれまたよく分かりません。カークウォールの規範の外、法秩序が及ばないため、犯罪者などの受け皿になっているという面もあるのでしょう。イザベラが盗み出した教典から、教義の内容が密かに広まって、キュンの教えに帰依する人が増えていった、というような裏があったら面白かったかもしれませんが、勿論そんなのもなさそうです。
修道女ペトリースの行動についても、クナリに改宗する民衆が多いことに危機感を持ち、クナリの脅威を煽って教会(大司教エルシナ)のクナリに対する態度を硬化させるとか、民衆の反クナリ感情を利用して狂信的な集団を先導するとか、何らかの意図はあったのでしょうが、どういう結果を求めていたのか今ひとつよく分かりません。
シェイマスを教会の中であっさり殺したのも意図するところが掴めません。子爵を窮地に追い込み群衆を扇動するなら、子爵に極めて近い人物が異端に染まっているというスキャンダルを公にするため、公開裁判に掛けるという方法も考えられます。
子爵や教会を追い込んでクナリへの宣戦布告をさせたいなら、ドワーフの商人(名前忘れた)でも使ってクナリが危険な爆弾を持っているとの噂を流させておいて、ドワーフの爆弾で協会爆破、現場にはクナリの死体(捕まえていたクナリを使う)、という状況を捏造する、教会の爆破に使われたのがドワーフの爆弾かクナリの爆弾かはカークウォール市民には分からないのだから、クナリが仕掛けたと思わせ一気に反クナリ化を狙う…ぐらいしても良かったのではないでしょうか(フォーサイスの「第四の核」みたいだな)。どうも無定見に行動しているように思えます。
余談ですが、教会の中でペトリースがクナリに射殺されるシーン、クナリがあっさり教会の中に入れるとも思えないし、大司教エルシナは全然動じてないし、てっきり大司教エルシナは状況を全て把握していて、クナリにペトリースを始末させることでこの件を手打ちにしたのかと思いました。だとしたらあの大司教はああ見えて随分計算高いなあと。外面の良さとは裏腹の極めて計算高い人物で、それを知って絶望したアンダースがああいう事件を起こす…というのなら多少は分からなくもないのですが、どうもそういう訳ではなさそうですし。
ストーリイにあれもこれも要素として盛り込んだ※のは良いが、どの要素の描写も説得力が弱いように思えるので、特に第2部以降、全般的に違和感というか「腑に落ちなさ」が先に立って楽しめませんでした。仲間の被害妄想と身勝手な行動に振り回されているだけのような気がしてきます。
※ 「ポケット・ジョーク」の中にあった、手記を売り込みに来た若い作家に編集者が、自己啓発、政治性、宗教、ホモセクシャルの要素を入れるよう指示するジョークを思い出した。 (角川文庫「ポケット・ジョーク」第1巻に収録)
仲間との関係では、今作は新たにフレンド・ライバルの値があり、遣り取りにも差が出るようになっています。フレンド寄りの状態は、主人公と思想信条も一致している+感情的にも好ましく思っている、ライバル寄りでは、思想信条の差はあるが主人公の意見は一理あると認めている+感情的には反発している、という状態でしょうが、フレンド寄りはともかく、ライバル値を上げるために、奴隷関係など単に嫌がらせのような行動を選択する必要があるのは違和感がありました。むしろ仲間にとって倫理的に容認できない行動は嫌悪するようにして、一定値を超えれば離脱する方が納得しやすい。フェンリスなら奴隷の扱い、アンダースなら投降してきたメイジの扱いなどでしょうか。離脱するポイントがあるキャラもいますが、倫理的に受容できない行動を眼前で取られて、それでもほぼ最終盤まで離脱せずに主人公と何でも屋をやる仲間達…やっぱりよく分かりません。
仲間とのロマンスも、DAOではグレイウォーデンの責務と私的感情の間で重大な選択を迫られるという意味で、重要な位置付けであったのに対し、今回はどちらかというと只の彩りに思えます。確かに終盤でロマンス相手と自分の信条の相違によっては重大な選択となる状況もありますが、今回のロマンスはクエストがパターン化されている(ロマンス相手の個人的な恩讐に関与→関係値が閾値を超えた場合、追加の対話クエスト発生)ことと、途中のロマンスの過程が散漫で関係性が濃密とは感じられないことから、余り思い入れが生じなかったというのが正直なところです。
寧ろ終盤の重大な選択は弟妹との関係に影響するのですから、同じ場所で管を巻いているロマンス相手より、家族(弟カーヴァーと妹ベサニー)の描写、関係をもっと深掘りした方がメイジ/テンプル騎士団抗争の展開にも「我がこと」として興味が持てたでしょうし、弟妹のいずれがアポステイトか、いずれが生き残るのかも含めて選択できれば、周回プレイのモチベーションになったでしょう。
家族関係で言えば、叔父のガムレンのキャラクターなど、最初は財産を使い込んだ嫌な奴かと思わせて、出奔したホークの母親に代わって親の世話をしていたことや、ガムレンのクエストの展開など、意外に家族思いな面が見えてきて、印象が変わってくるのが良くできていると思いましたし、ホークへのコンプレックスで反抗的な態度を取りつつも、家族としての関係を軽視している訳ではないカーヴァーのキャラも興味深く楽しめました。
およそ10年という長期間にわたるカークウォールでの生活、メイジを巡る対立を描くのなら、アポステイトの存在により様々に辛酸を舐めたであろう家族を中心に据えた方が、より印象に残ったのではないでしょうか。
ストーリイが腑に落ちない、今ひとつ分からない、という評価は、管理人のこの物語に関する理解力・共感力が低いせいというのもあるでしょう。逆に理解・共感できる人ならどっぷりはまることでしょう。
もしかしたら、この腑に落ちなさ、不明瞭さは、重大な局面における決断、行動は、周りの人間(後世の人間或いは傍観者)が考える/期待する程には、当事者達の判断や行動に合理性、合目的性や整合性がない、不合理で、感情的で、衝動的な決断や行動の結果引き起こされるものであるかもしれない、ということを表しているのかもしれません。
まあ、言っても詮無い「ぼくのかんがえたおもしろいどらごんえいじ2」はこの辺にして。
DA2は海外版から始めてクリアするまでに1年以上掛かった訳ですが、話が面白くないとか腑に落ちないとか鬱々としているとかいったストーリイ面での不満より、先ずもってゲームそのものが退屈に感じたからプレイを継続する気が起きませんでした。別段クソゲーという程でもなく普通に遊べますが、没頭するとか、熱中するとか、先が気になって仕方ないという様なこともなく、淡々とルーティンワークをこなしていくような感じです。
その最大の原因は、やはり肝心のゲーム部分の手抜きぶり、特に代わり映えのしないコピペダンジョンを延々と遊ばされることに尽きます。どれ程新しいクエストが始まったとしても、結局いつものどれかのダンジョンに入るだけ、敵の配置も宝箱や罠の配置も大体同じようなものとなると、クエストを進めようという意欲も減退です(3回連続で同じダンジョンを引いた時は流石にげんなりした)。
結局の所クエストに掛ける時間の大半はダンジョンの探索と戦闘ですし、そこが駄目なら合間のイベントを楽しめるかどうかが面白いと感じられるかどうかの分かれ目でしょう。戦闘は確かに面白い面もありますが、後から次々敵が現れるため、布陣を組んで対応するというより只の力押しになってしまいがちです。
ゲームとは端的に言って設定された課題を解決するサイクルであり、如何にプレイヤーのモチベーションを高く保ったまま、次に提示する課題に向かわせ、解決策の学習・習熟に熱中させるか、そのための報酬を如何に設定するか、が面白さに繋がるものだと思います。
このゲームは、課題があまりに代わり映えしなさ過ぎるため、モチベーションが保てませんでした。クエストのストーリイ面での展開も課題と捉えるなら、どのような選択肢を取ってもさして結果が変わらないものが多いので、若干の展開の違い(連れている仲間の反応など)を発見することが課題となるのでしょうが、こちらはどこまで仲間に思い入れを持っているかによって、取り組むべき課題と見なせるかどうか、差が出るでしょう。
現実の課業タスクなら金銭等による報酬でモチベーションの維持となるわけですが、ゲームの中で得られる報酬というと、アクションゲームや格ゲーならキャラを自在に動かす高揚感とか、相手を打ち倒す勝利の感覚、そしてRPGならゲーム内の行動や決断等を通じてを自分の想定する方向へ状況をコントロールすること、などではないかと思います。
このゲームはその「自分の望む方向へ状況を動かす」ことも結局はできず、個々の局面で特定の仲間との関係をコントロールする程度なので、余程仲間との関係を重視していなければ、モチベーションを保つ報酬としては弱い気がします。
そういう意味では、今作ではダンジョン探索、若しくはメインシナリオの達成感はおまけみたいなもので、自キャラの性格付け(融和的/諧謔的/攻撃的)とメイジに対するスタンス、クエストに同行させる仲間キャラの組み合わせによる会話のバリエーションの発見を課題として楽しむゲームなのかも知れません。その会話バリエーション等により、仲間キャラの性格や主人公との関係、この世界の背景が知識として提示されるので、その知識を報酬と捉えられるなら、楽しめるのではないでしょうか。
自分としては余り評価の高くないDA2ですが、次世代機で発売されるらしいDA3も出たら遊んでみようかとは思っています。
※ 段落間の引用は、ロマーノフ「同志キスリャコフ」より
騎士団長メレディスと筆頭魔道師オーシノの衝突はいよいよ一触即発の状況になり、主人公がその場に赴いてみれば互いに相手を面罵しているところ。主人公が仲裁しても全く聞き入れようとしません。両者が睨み合い対峙するまさにその時、爆発音とともに大聖堂大崩壊、驚天動地の一大事。茫然自失の一堂を尻目に、現れ出でしアンダースが犯行声明を発します。革命は闘争状態から生まれるものであり、自分は退路を断ってやったのだ、とかなんとか申しておりますが、小人窮すれば斯に濫す。
筆頭魔道師オーシノの隣には妹のベサニーがいるものの、主人公は騎士団長メレディス側に立つことを表明し、遂に騎士団とサークルの全面対決となります。
主人公に一任されたアンダースの処遇ですが、説得も不調に終わったのでやむなく自ら手を掛けます。ここで世に混沌をもたらし革命を成就するべくヴェンジェンスが出てきて大暴れするのかと思ったら何もなく、こと終われり。
カークウォールの街中では魔道士が悪鬼と化してテンプル騎士と戦う凄惨な場面が繰り広げられています。立ち塞がる敵を倒して漸く処刑塔へ突入した主人公と仲間は、共に最後の戦いに赴きます。処刑塔の中では色々あって、筆頭魔道師も騎士団長も襲いかかってくるので右も左も撫で切り、かくてカークウォールの名士は皆死亡し、残ったのはカークウォールの英雄だけ…。
ここでヴァリックのお話しはおしまい。この大混乱の中で皆生死不明になった、のではなく、カークウォールの英雄が姿を消すまで暫し期間があったような口ぶりでしたが、探求騎士とヴァリックの遣り取りも思わせぶりというか、何が起こってどういう状況かをはっきり語らないので、どうも腑に落ちない締めに感じます。
ラストバトルの騎士団長メレディス戦では、残った仲間の他、進め方等によって他のNPCも参戦するようです。自分の場合はゼブランとナサニエルがいましたが、よく見ないと気付かないかもしれません。ただ、メレディス戦もオーシノ戦も、難易度ノーマルだとあんまり苦労はしないと思います。処刑塔へ向かう途中の港地区の戦闘が、敵の数も多いし、魔道士だけでなく何とかの悪魔もいるし、きつかったです。
カーヴァー生存だとどういう展開になるのか気にはなるので、メイジ主人公は作ってあるけど、内容を忘れた頃でないと周回する気にはならないなぁ。ロードが多いので億劫というのもある。
現在プレイ中のデータはDAO本編クリア+アウェイクニングプレイ途中(ナサニエル加入済み、パーティメンバーは主人公、アンダース、ナサニエル、オグレン)のデータを引き継いだもので、この状態でも第3部でナサニエル関連のクエストは発生しました。
ナサニエルのクエストとゼブランのクエストを終わらせたところでDLCの「レガシー」と「アサシンの印」に取り掛かります。
「レガシー」は、ホークの父親とグレイウォーデンとの隠されたエピソードが明らかになる、かなり大きなクエストです。プレイ時間はおよそ5時間ぐらい。
渓谷 → 砦 → 地下 → 塔 といった感じでダンジョンの構成も多彩ですし、ストーリイは謎の解決に向けて比較的集中して進みますが、合間にミニクエストもあって遊びごたえがありました。生き残った弟妹を連れて行けるのも嬉しいところ。このDLCは本編の第3部辺りに置いてあっても良かったのではないかと思います。
各所に中ボスや硬めの敵が配置されていて、更にラスボスはかなり凶悪です。メンバーをちまちまと移動させながら敵を攻撃する必要があるので、面倒と言えば面倒。ラスボスは
(1) 通常攻撃できる状態
(2) 無敵状態になり、180度に広げた手から高威力の炎を出しながら広間の中心で回転
(3) (1)に同じ
(4) (2)+(4)岩石迷路と氷、電撃
(5) (4)はそのままで、通常攻撃できる状態
と攻撃パターンが変わるのですが、(4)の段階で4人を動かすのが結構鬼門です。まだ大丈夫と敵を攻撃していると、うっかり壁に引っかかって炎に巻かれることになってしまいます。尤もこの段階で1人しか残らなくても、(5)では像設置場所でクールダウンの時間稼ぎができるので、ポーションの数さえあれば勝てるでしょう。
アーケードゲームと違って、タイムアップもなく、ボスが発狂モードになる訳でもなく、永久パターン防止の無敵キャラが出てきて一瞬で葬られることもなく、時間を掛けても大丈夫なのが気楽です。
只、あのボスは通常攻撃できる状態だと、魔術師のくせにトルネードパンチでこっちをよろけ状態にするという困った奴です。壁際で当たるとはまった様になって続けて攻撃を食らう羽目になるし、カメラ位置は変なことになるし、ちょっと焦ります。
ベサニーが連れ歩けるのは嬉しいところ。
一方の「アサシンの印」は、ある出来事で出会ったエルフ(タリス)の手助けすることになり、オーレイのシュヴァリエであるなんとか卿が所持する宝石窃盗の片棒担ぎをさせられます。卿の主催するワイバーン狩りとその後の宴席に参加…といった軽い体裁で始まりますが、このエルフには秘密があって、後半は話がオーレイだのクナリだのの話に繋がっていきます。しかし、こんな実在の人物をモデルにしたエルフを登場させるとは、本編のエルフの造形って何だったんでしょう。
前半(宮殿の中を探索して宝物庫に辿り着くまで)はコミカルな雰囲気で楽しめました。その調子で最後まで進めてほしかったですね。
後半は一転してやたらとタリスの説明(弁明)台詞が多く感じます。真実の説明を求めるも「今は言えない」と言われてますます只の便利使いです。途中で見捨てる選択も出来るようですが、結局最後まで手伝いを続けてしまいました。本編と同様、善人選択肢ばかり選んでいると、お人好しを通り越して少々病的な寛容さになってしまいます。
ボスキャラは、普通の人間キャラの筈なのに、あんなのを手なずけて騎乗しているし、本人は瞬間移動が使えるしで、ケイランがオーレイに援軍を求めたのは正しい判断だったと思えます。こんなのが1ダースもいればダークスポーンを鎮圧してたちまちブライトを終わらせられそうな気がする。